ブルース・リー、彼が僕らのヒーローだった


1997年7月11日放送 テレビ朝日 ニュースステーションにて




香港返還が世界的な話題となった1997年、日本では都内の映画館で過去のブルース・リー主演作品がリバイバル上映されるなど、第5次ブルース・リーブームが巻き起こりました。

そしてこの当時金曜日のニュースステーションでは、毎週1つのテーマを決めた金曜特集なる企画を放送しており、この香港返還直後のテーマに選ばれたのがブルース・リーだったのです。

さらにこの時のNステはブルース・リーの映画俳優という一面は全く無視し、格闘家…ジークンドー創始者としてブルース・リーを取り上げたのです。

つまりブルース・リーは映画俳優としてだけではなく、格闘家として偉大であったという事実を、それまで映画俳優としてのブルース・リーしか知らなかったほとんどの日本人に対して知らしめましたので、そういう意味でも歴史に残るといってもいい放送だったのです。

もちろん私はビデオに収録し、これまで何度も何度もこの時の放送を観てきました。そこで、このページでは角澤アナのナレーションと、ブルース・リーに縁深かった人々のインタビューを完全に再現していこうと思います。



今から57年前、中国人の喜劇役者の次男としてひとりの男の子が誕生。

李振藩…後に、彼は「ドラゴン」と呼ばれた。





(BGM: THEME OF ENTER THE DRAGON)


1970年代、スクリーンの中での華麗なアクションで一瞬にして世界を席巻した伝説のヒーロー、ブルース・リー。





ブルース・リーは、香港の俳優として初めて世界にその名を轟かせ、スーパースターの仲間入りを果たした。


ブルースがこの世を去って、今年で24年。





(BGM: DRAGON THEME/A FATHER'S NIGHTMARE)


ブルースを世界的なムービースターに押し上げた、香港の映画会社ゴールデンハーベスト社。

かつてブルースが使っていた控え室は、今はジャッキー・チェンの控え室と様変わりしていた。





ゴールデンハーベスト社:トニー・トウ広報

「ブルース・リーは1971年からの3年間、香港のトップスターです。

ジャッキー・チェンもよく言っています。"ブルースがいなければ、今日の私はない"と。」



香港の市民は、かつてのヒーローをこう語る。


29歳・男性「ブルース・リーの映画を見て、中国人はとても誇りだと思います。」

35歳・女性「私たち中国人が世界に認められたのも、ブルース・リーのおかげです。」






さらに若い世代を中心とした、ブルース・リーのファンクラブも存在。ブルースのイベントや、研究を続けている。


ファンクラブの中心的存在の男性
「日本にも宮本武蔵や三島由紀夫を崇拝している人がいるように−

私たちはブルース・リーを代々受け継いでいこうと思っています。」





日本人女性

「香港は彼のホームタウンですよね。ですんで彼のホームタウンを見てみたかったと。

男って感じがするじゃないですか。強い男の理想像という感じですよね。」



香港から遠く海を越えた、アメリカ西海岸、シアトル。

街並みが見渡せる高台の墓地に、ブルース・リーは、息子のブランドンと共に静かに眠っている。





ロサンゼルス郊外にある、イノサント・アカデミー。

ここでは、ジークンドーと呼ばれる格闘技を毎日教えている。

ブルース・リーに憧れた、およそ500人の若者たちが、トレーニングに汗を流す。

この格闘技の創始者は、ブルース・リー。





生徒「ジークンドーを始めたのは、ブルース・リーに憧れていたからさ。

実際にトレーニングをやり始めたらもっと奥が深いことに気付いたよ。」


生徒「ブルース・リーは僕のアイドルさ。今でも元気がなくなった時には−

ブルース・リーの本を読むとインスピレーションがわいてくるんだ。」


生徒「実生活でも、ジークンドーは直接応用できて、効果的だよ。」






ジークンドーは、単なる映画の中のアクションではない。

ブルース・リーが、生涯をかけて築き上げた実戦的な格闘技である。


この道場でジークンドーを指導するのは、ダン・イノサント。

かつて、ブルース・リーの弟子であり、ジークンドーを共に築き上げてきた。

60歳の今もなお、現役である。





ダン・イノサント師父

「確かにブルースはムービースターなのですが、私にとっては、武道家です。

ファイターでもあり、武道の先生でもあり、哲学者でもあり− 体作りの専門家でもありました。」



武道家、ブルース・リー。


幼い頃からブルースは勝ち気で喧嘩が絶えず、家族は手を焼いていたと姉のフィービーは証言する。





ブルース・リーの実姉:フィービー・リー

「ある日、警察がやって来て、ブルースがケンカ相手のアゴを砕いたと言った。

母は大変な事になったと心配し、父は怒ってブルースを部屋に閉じ込めた。

そんな訳で父はブルースに、武術を続けさせたくなかったのです。」






喧嘩に負けたことをきっかけに、中国武術の一派である詠春拳に入門。

その後の格闘技人生に、影響を与えた。

ブルース・リーを指導した、イップマンの長男はブルースの功績をこう称える。





イップマンの長男:イップチョン師父

「詠春拳が世界に広まったのは、ブルースのおかげです。

ブルースはアメリカにいた頃、一時期詠春拳を教えていました。

ブルースは詠春拳でアメリカ人を打ち負かした。よって詠春拳の名声は高められたのです。」



詠春拳で、圧倒的な強さを誇ったブルース・リー。

その当時の強さを、弟ロバートは今でも強烈に覚えているという。





ブルース・リーの実弟:ロバート・リー

「香港で毎年好例のボクシング大会があって、

ブルースは学校の代表選手で−

相手は別の学校の高校で3年連続のチャンピオンだった。

ぼくはその会場にいたからよく覚えているけど−

当時、ブルースは詠春拳を習っていて、相手はボクサーの構えで動いていた。

ブルースは詠春拳の手技で突進して、相手をKOしてしまった。

ブルースは、"え?もう勝っちゃたの?"ってかっこうをつけていたよ。」



ブルースは、18歳で単身渡米。

シアトルにある、ワシントン大学哲学科に入学。

武術と哲学を融合し始める。





そして、自らの名前を取ったジュンファングンフーの道場をシアトルに設立。

ブルースの最初の弟子となったのは、日系2世のターキー・木村。





ターキー・木村は、73歳の今もなお、

シアトルの地でブルースから教わったままのスタイルをかたくなに守り続けている。

ターキー・木村が、ブルースと最初に出会ったのは1959年。

近くの公園に、凄腕の中国人がいるとのうわさを聞き、早速どんなものかと思い、会いに行った。

そこで、強烈な体験をした。





ターキー・木村

「この公園にブルースは友達といた。

私は車を降りてブルースに近寄ったら−

ブルースは"オレに何でもいいからやってみろ"と言ってきた。


いきなりそんな事を言うのでビックリしたけど−

とりあえずパンチを出した瞬間、私は倒れていて−

ブルースは私の顔の上でパンチを切った。その風圧で気絶しそうになった。

その時、"こいつはスゴイ"と感心し、ブルースの仲間に入りたいと思った。」



16歳も年下のブルース・リーに弟子入りしたターキー・木村は、ブルース亡きあと、

今でも人生の師と仰ぐブルースの墓を、守り続けている。





誰にでも、わけ隔てなく武術を教えるブルースは、伝統を重んじる他流派から道場破りに遭う。

相手を仕とめるのに30秒以上かかったことを反省して、その後、多くの格闘技を吸収し始めた。

1964年、空手の大会でダン・イノサントと出会う。





ダン・イノサント師父

「ブルースと会った時の印象として、

彼は武道に対する理解をもっていました。

武道家として、ずっと大人に見えました。」



(BGM: CHOPSAKI)


'60年代半ばに、ロサンゼルスのチャイナタウンでイノサントと共に、3つ目の道場を設立。

この道場から、ブルースの代名詞となる、ジークンドーが生まれた。

ブルースは、スタイルに拘らない「自由な武術」を目指した。








ダン・イノサント師父

「ブルースが目指したものは、パンチやひじ、ひざでの打撃−

投げ技や倒してからの素早い関節技−

つまり体のすべてを使うオールラウンドな格闘技を作りたかったのです。

ブルースは1964年頃からそう考えていた。」



ブルース・リーから、ダン・イノサントへ引き継がれたジークンドーを、ある日本人が受け継ごうとしている。


中村頼永、33歳、三重県出身。





中村頼永

「え〜 やっぱりあれですね、

映画館であの、死亡遊戯の予告編を観てから、

それから体中に電撃が走る気持ちで、

その日のうちにもう大ファンになっちゃいましたけど、はい。」



(BGM: DRAGON THEME/A FATHER'S NIGHTMARE)


身も心も、ブルース一色に染まった青春時代。

ブルースへの憧れは、中村の人生を大きく変えた。





中村頼永

「やっぱり、ジークンドーというものを、

やっぱり極めたかったというか、やっぱりやりたいと思ったら、

やっぱりやらないと気がすまなかったんで、

もうやっぱりアメリカ行くしかないと思いましたから、はい。」



そう決めた中村は、8年前イノサントの元に一目散。

道場の倉庫に寝泊まりしながら、ブルースの技と精神を来る日も来る日も、マンツーマンで教わってきた。





現在中村は、世界でも10人足らずしかいないというジークンドーのフルインストラクターに成長。

さらに若い世代に、ブルース・リーのすべてを伝えようとしている。





(BGM: BRUCE AND LINDA)


中村頼永

「え〜、やっぱり、技術とか思想とか、哲学とかまあそういうのを全部勉強して、

理解すればするほど近付いているように見えるんですけど、

やはり、ブルース・リー先生の偉大さっていうのがさらにわかっちゃって、

もう遠い人だな、っていうか、もうこれは全然近付けるとかそういう問題じゃなくて、もう凄い人だな、

と、逆に遠さを感じるというか、そんな感じですね。」



"1997年7月1日 香港返還"




国境を越えて、体制を越えて、ブルースのスピリットは生き続ける。











Bruce Lee: Be formless, shapeless, like water.

You put into a cup, it becomes the cup. You put into a bottle, it becomes the bottle.

You put into a teapot, it becomes the teapot.

Water can flow, or it can crash.

Be water, my friend….



ブルースの墓には、映画の功績を称える言葉はない。刻まれている文字は





"ジークンドー創始者"
(FOUNDER OF JEET KUNE DO)


それだけである。




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